井戸茶盌と高麗茶盌 ご案内 一筆啓上 作品 井戸茶盌―見果てぬ夢 |
小井戸茶盌
第
1章 高麗茶盌を作りたくて
井戸茶盌に取り憑かれて、永い年月彷徨い歩いてきましたが、その道中にも高麗茶 一
陶工の仕事として、どれぐらいの幅を、どれぐらいの深さを持つべきなのか、少なく
「安田道雄 高麗茶盌展」を企画、想定した時に、展示作品の全体像が自ずと脳裏を 大
井戸茶盌、井戸茶盌、小井戸茶盌、青井戸茶盌、釘彫伊羅保茶盌、黄伊羅保茶盌、伊 こ
れぐらいを展示すれば形になる、恥をかかないかなと考えました。
高麗茶盌は途方もなく種類が多く、その方向性は多岐にわたり、一陶工の仕事の範囲 私
が出来得る範囲は自ずと限界があり、私自身の好みや、技術、技倆の範囲の中で挑戦 高麗茶盌を作る、挑戦
するとは一陶工にとってどういうことなのか。問い続けており 高
麗茶盌を作るということは、広い意味で「写し」をすることだろうと考えています。
絵画の世界にも「模写」という行為があります。古今東西の名作を写す作業の中で、 決
して「模写」されたその作が、自己完成の目的物でないことは自明のこととして定着 つ
まり作品として発表されることはあり得ないということです。
方や陶芸の世界では、「写し」の作を作品として発表することが当たり前のようにな レ
プリカのようにどれだけ本歌に近づいているかが、評価の規準にすらなっているよう
お茶の世界では、本歌は高価過ぎて手に負えない、現代の陶工の「写し」の作で楽し そ
ういう意味での必要性、存在価値は有るのでしょうが、甚だ、寂しい限りです。
ある高麗茶盌の名前を冠して発表するわけですが、その高麗茶盌の様式,価値観を通 古今東西の名作の様式
に基づくことは、広い意味で「写し」になるだろうと思います し
かし名作の価値観を学ぶことは「写し」にはならないだろうと思っております。その
例えば柿の蔕茶盌を作るとします。 ま
ず土作りです。陶工の数だけの種類になるでしょう。この土を選ぶこと、この土を作
そして陶工の数だけの轆轤成形の姿形が出来上がります。この姿形が、轆轤の妙味が
次に釉薬です。これも独自性が出ます。釉薬の掛け方も独自性があるでしょう。一工
最後に焼きに入ります。土が要求する焼き方、釉薬の必然としての焼き、酸化、中性
結果として柿の蔕茶盌が作り出されるのですが、柿の蔕茶盌としての様式、雰囲気を そ
ういう意味で、広い意味での「写し」だと思っております。
誰が観ても柿の蔕茶盌の雰囲気だと思えることを前提として、色合い、焼き肌、大き そのような柿の蔕茶盌
が陶工の個性の発露としての作品になります。
更に、その柿の蔕茶盌が「魅力ある茶盌」であるのかどうか、厳しい目に晒されるの 個
性的で、「魅力ある茶盌」に仕上がるには、土作りが良かった。轆轤がうまくいっ そ
んな人智を超えた幸運がもたらす「魅力ある茶盌」という僥倖が陶工の個性の発露と Copyright(C) 2006 Michio Yasuda
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